中学にあがっての秋のある晩、生まれて初めて、両親の交わりを見てしまった。親戚の婚礼に二人そろって出かけ、深夜に戻って来、多分さめたお風呂に二人で入ったようで、珍しく母の嬌声が聞こえていた。「早よ寝にゃならんからいっしょに入らんか」「ふふ、ええよ、新婚さんやね」そんな若夫婦みたいにイチャイチャしながらお風呂の声が響いていた。その後なかなか灯火が消えないので廊下からもう寝たら、とでも言おうと障子を開けようとしたら、隙間から、、「うふふん、、」「いいやろ、どや」「ほほ、いいわよ、いい、そ〜」、、、、、、、、、、
常夜灯ではなく、白々とした蛍光灯をつけて、父は仰向けになった母のオマンコをなめまわしていた。ひととおり済ますと今度は母が仰向けになった父の勃起したチンポをしごきながら口に含み始めた。「あ〜、サービスいいのう、いつもこんなんだったら、なんでも買ってやるぞ」
「ほほ、それ忘れんといてね」当時、母が35、父が40、子育てが一段落し、母の要求に十二分に応えられた頃?であったと思う。
そのあと、灯りを付けたまま、二つに重なり、正常位でヨイショヨイショやりはじめた。「あ〜、おとうさん、もっとゆっくりよ」「こうか、」とかハアハア云いながら父は母のおなかの上で汗を流しながら、腰を振っていた。そのうちに、母が深呼吸をするようにはあ〜っ、はあ〜っと言い出したかと思うと父の背中に両手をまわし、両足も父に絡み付かせ、父が動けなくなるほど硬くしがみついて「いきそ、いきそ
往って、って、」と言い出し。それと同時に父の腰のうねりが激しくなり、最後に硬く二人ともしがみついたまま、下半身を何度も震わせて
死んだようになった。わたしは射精寸前の父母の求めあう凄さに圧倒されてしまい、覗いている危険を忘れてしまっていた。
部屋に戻っても、精一杯女の官能を味わおうと腰をくねらせる母と動物的なまでに愛する妻にに精液を注ぎ込もうともがく一匹の♂に化した父のすがたが目に焼き付いてしまい、心の中ですごい、すごいとつぶやき続けていた。随分長い間覗いていたようだったが、枕元の時計を見ると10分もたってなかった。その晩も自慰を盛大にしてしまった。あの頃から私の下履きとか士気ふとんに黄色い地図が随分付いたはずなのに母はそれをなんと思っていたんだろう。まさか、自分たちの痴態を、、、息子が、、、と思わなかったろうか。でもあの晩は全く無防備に障子一枚隔てた明るい明かりの下でやってたのは、1日解放された余韻がそうさせたのだろうか。
私の妻でも、旅行から帰った夜なぞ、疲れているはずなのに、求めると待っていたように激しく交わりを求め、♀の要求が満たされるまでゆるしてくれないものだ。ひょっとしたら子供に見られているかも。

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